《ドメスティック・バイオレンス(DV)とは何か?》


 ドメスティック・バイオレンス(DV)とは、夫婦(別居・離婚後も含む)、恋人という親密な関係で起こる、主に男性から女性への暴力のことを指します。
 2001年にはDV防止法が制定され、DVは明確に犯罪であると位置づけられました。DVとは、「夫婦ゲンカがひどくなって暴力ざたになった」単なる夫婦の不和とは、区別して理解する必要があります。相手を殴ったり、侮辱や罵倒したりなど、同じことを職場で行ったとしたら、大変な責任問題となることでしょう。しかし、私たちの中には、「夫婦だからこのくらいのことはとがめられない、許されるのではないか」という錯覚があるのです。
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【暴力の種類】  暴力には、次のような種類があります。

◎身体的暴力……殴る、蹴る、髪の毛を引っ張る、火傷させる、他.

◎精神的暴力……「気違い」「役立たず」「人間のくず」等の人格否定する言動、意地悪や混乱させる言動により苦
            痛を与える、「誰に食わせてもらっているんだ」「お前は俺の言うことをきいていればいい」などの
            差別的言動、他.
  {註}モラルハラスメントとは精神的暴力のことを指し、夫婦間のモラルハラスメントはDVに相当します.

◎性的暴力……性行為を強要する、中絶を強要する、避妊に協力しない、女性としての根幹にかかわる部分を侮辱
           する、浮気を繰り返す、他.

◎社会的暴力……親・友人などのつき合いを制限する、電話・手紙・メールなどを頻繁にチェックする、他.

◎経済的暴力……生活費を渡さない、仕事につかせない、保険証を使わせない、他.

◎物を使った暴力……壁など物にあたって壊す、大切な物を捨てる、他.
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【DVにおける暴力の特質】
 DVは、他の暴力にはない特徴が幾つもあります。それらを列挙してみましょう。

◆加害者の暴力は一種類だけではありません。幾つかの種類の暴力が複合的に行使されているケースが非常に多くあります。

◆加害者は、常に暴力的な人物というわけではありません。 家の外では配慮ある穏やかな人物として通っていることも多く、大部分が暴力が向かう対象は親密な関係に限られています。

◆激しい暴力を振るう時期と、配慮のある優しい時期が交互に起こっている例が非常に多くあります。このようなことが繰り返されると、被害を受ける側は混乱し、相手のよい側面のみを見ようとしたり、良好な関係の時もあるのでかえって自分の接し方が悪いのでは、と自分を責めたりすることになります。いずれにしても、加害者にとって暴力を続けるために都合のよい考え方を、被害者がいつの間にかもつようになるのです。

◆被害者が相手を精一杯に配慮しているにもかかわらず、暴力は減りません。よく考えてみると分かりますが、夫にとってそれほど気に入らない妻ならば、別れるのが自然なハズです。それを別れもせず罵倒し、暴力をふるい続けているというのは、そのような虐待的関係を必要としている証拠なのです。信じられないかもしれませんが、被害女性がとれほど誠意を尽くしたとしても報いられません。加害者にとって、思いどおりにならない際に暴力を活用することによって、自分が“優位であり"“価値がある”と感じることが必要とされているからです。

◆身体的暴力や言葉の暴力に関しては、子どもが泣きやまない、仕事上のストレス、帰宅時に妻が直ちに姿を見せないなど、きっかけは何でもよく、まさに「理由なき暴力」と言ってよいものです。被害者の妻の側は何が暴力のきっかけになるか分からないため、常に脅えながら生活を送ることになります。
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【DVに関する認識をチェンジしましょう】
◆DVは、どの家庭でも起こり得ます!!
→平成15年の内閣府による調査では、夫から身体的・精神的・性的暴力を受けた女性の割合の合計は、30.1%という結果でした。夫婦が10組いたとすれば、そのうち3人の妻はDV被害を受けていることになります。これは驚くべき発生率です。これほどDVが多発しているといあうことは、「どの家庭でもDVが起こっていてもおかしくない」という現実を表しているのです。

◆DVは防犯ができません(DVは犯罪であるにもかかわらず、です)。
→なぜなら、危険な人物が家庭内にいるからです。

◆DVは万病のもと!!
→喘息、糖尿病、アトピー性皮膚炎、心臓疾患、生理不順、うつ病、頭痛・腰痛・疲労感等の不定愁訴、など、DVは様々な健康障害の要因となります。これらは本来、被害側の問題ではありません。「加害者が与えてきた苦しみがどれだけのものだったか」を表しているのであるのであって、加害者の責任なのです。
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 「家庭は安らぎや信頼を得られる場」と誰もが信じたいものです。しかし国の調査の数字は、明確に“No!"と語っています。家庭でこそ許容しがたい暴力が蔓延している、という事実から目をそらすことは、本当は誰の益にもなりません。
 私たちの多くは「DVなど自分に関係のないこと」と思っています。「気がついたら、自分も当事者」なのです。相談に訪れた被害者は、「まさか自分がDVなどとは思わなかった・・・」と異口同音に語っています。
 加害者更生プログラムに参加し始めた加害者は、被害者と別の意味で「まさか自分がDVなどとは思わなかった」と語り、「“自分のやってきたことがDV”と彼女から指摘されても、認めたくなくて逃げてきた」と語っています。
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 「夫婦である/恋人関係である」ことは、「自分が大切に扱われたいと同様に、相手を大切にしたい」という基盤があって成立します。これに反するとしたら(殴る・蹴るなどの明確な身体的暴力は論外です)、「それが軽微な言動・態度であっても、DVではないだろうか」と考える必要があります。
 DV加害者は、パートナーを本当は愛していないか、愛情があっても適切に表現する術を知らないか、のいずれかです。
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【あなたは、これらの事実を知っていますか?】
ここでDVに関するデータを列挙してみましょう。にわかに信じがたいかもしれませんが、これらは全て事実なのです。

◆イギリスの慣習法では、妻は夫の動産であって、夫は妻に対する“身体的制裁権”が認められており、夫の親指の太さ以下であれば棒やムチで叩いてよいとされていた。(通称“親指の原則”)

◆夫の妻に対する制裁権が初めて否定された判決は、1871年米国のアラバマ州とマサチューセッツ州のものであった。(19世紀後半までDVは合法だったのです!)

◆米国の殺人事件の13%は夫婦のもので、殺人の女性被害者の約30%はDVが原因である。

◆米国の正式統計では、毎年200万人の妻が夫から殴打されている。

◆米国では18秒ごとにDVが起こっている。警察に報告されるのは250例のうち1件のみである。

◆米国では、結婚生活で7人のうち1人の女性が夫からレイプされている。

◆米国では、連邦政府が全国どこからでもかけられるDV専用電話を設けている。

◆1974年に全米(人口2億5千万人)で2ケ所だったDVの民間シェルター(避難所)は、4年後に200ケ所を越え、
1999年には1500ケ所以上存在する。

◆日本(人口は米国の約半数)での民間シェルターは、2008年で100ケ所余りである。

◆日本では、DVで死亡の女性被害者は毎年100人余りである。
→『犯罪白書』によれば、夫による妻への殺人数の最大は平成12年の134人です。 実に3日に1人、妻が夫により殺されていることになります。これは深刻な数ですが、以外に知られていません。
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 自分が信じてきた“事実”とは違う事実を提示された時、誰しもそれを認めるのは苦痛です。特に男性にとって、「DV問題は、男性である自分が責められる感じがするので、あまり考えたくない」という人が多くなりがちです。しかし私たちは、「苦痛だから、無視しよう(あるいは、それらしい正当化する理由を考えよう)」という選択もできれば、「苦痛であっても、必要だから前向きにとらえよう」という選択も可能です。どちらを選択するかは、私たちの主体性にかかっているのです。
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【私たちは、いかにDVに向き合ったらよいのか?】
 DVは最も身近な人権侵害です。余りにありふれているので、目を曇らされているだけです。そして、「女は忍耐強くあることが美徳」などの“女らしさ”、「男は少しくらい強引であってもいい」などの“男らしさ”の価値観(ジェンダー)が、身近なDVを認識しづらくさせ、DVを陰で応援する最大要因となっていることも知る必要があります。
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 戦前は女性に参政権がありませんでしたが、戦後、女性に投票や議員の立候補の権利が与えられる動きが生まれると、各方面で「無理だ」「女にできるハガがない」反対論が起こったと言われます。しかし現在では「女性が議員に立候補するなど、バカげている」と考える方が偏見であると見なされるでしょう。子ども虐待の場合はどうでしょう。「昔から親が子どもに当たり前にしてきたことが“虐待”であるはずがない」という価値観も、徐々に変化し、「それらを虐待であると、皆が認めて防止しよう」という機運が社会に共有され、DV防止法より児童虐待防止法の方が“被害者を社会で守ろう”という方針を強く反映させています。
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 パートナーに対する暴力も同様です。それが真実ならば、抵抗感があってもDVと認めて、解決へと少しずつ前進する意志をもつ−−それが私たち人間の進歩です。人間の歴史は、差別・偏見の問題をそのようにして乗り越えてきたのです。私たちの時代で出来ない、ということはありえません。
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 私たちは、残念ながら「パートナーを慢性的に苦しい思いをさせても、様々な理由をつけて正当化し、改善しなくてもよいのだ」という価値観を、自覚せずに受けついできたのです。私たちは「このようなひどい慣習を克服しよう」という意志を、強くもつ必要があります。
 無関心こそ、DVをひそかに継続させる最大の要因です。
 キーワードは《私たちは、目をそらさない!》です。


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